進歩ジウム?!シンポジウム大学改革の潮流と下関市立大学の将来を終えて~ステークホルダーの持つべき視点~

 

f:id:s70708710:20191213235800j:image写真は、ある日の教室(筆者撮影)。

 シンポジウムは、16時30分から18時30分の予定だったが、長引いて19時を少し過ぎた辺りで閉会した。学生からも質疑応答の出鼻に指摘がなされたように、みんなで語ろう、というようなテーマが掲げられたものの、大半が基調公演者、パネラーからの一方的な議論になってしまった面がある。その分、時間が伸びたのである。

 弁護士の郷原先生、社会学者の石原先生に加えて、本学の関野先生、桐原先生によって進行した。

 まず、郷原先生によって、スライドを用いたプレゼン形式でのお話があった。「「社会的要請に答える」コンプライアンスの視点から公立大学自治を考える」と題したものだ。

 郷原先生は、「コンプライアンスとは法令遵守ではなく、組織が社会の要請に応えること」だと、主張した上で、公立大学が秘める、ガバナンスの暴走の可能性を指摘された。コンプライアンスの観点から、「地方自治体の首長中心のガバナンス」が「公立大学として社会的要請に応えること」と一致するのかといった問題提起もなされた。公立大学に対する、首長による権限行使は、ガバナンスの単純化を招きかねないということである。ガバナンスが単純化すれば、当然、首長による好き勝手な意思決定が為され、大学は私物化されてしまう。

 やはり、民主的な手続きを経なければ、より良いコンプライアンスは実現されないだろう。

 興味深い話として、学費を納めている学生がガバナンスにどこまで、どのように関わるかということがあった。

 これについては、郷原先生は一般的には、学生には、経営や研究、教育に対して適切な評価や判断を下す能力がないとしながらも、学生が適度にガバナンスに組み込まれることがあっても良いのではとのべた。

 質疑応答の中で、本学の教員から「なぜ、理事長や学長は、好き勝手するのか。理由がわからない」というような質問があった。

 それについては、石原先生から「独裁者のメンタリティがそうさせるのではないか。自分の思い通りの大学をつくりたい。自分のレガシーを築きたい。そういったことに加えて、保身的な所があるのではないか。」というようなことが回答された。

 たしかに、権力の乱用ということに関して、以上のことはあると思うが、やはり、端的には「自分たちのために、自分たちの儲かると思うやり方で、儲かるためにやる」という側面があるのではないか。ここに、本日のシンポジウムにおけるキーワードである「コンプライアンス」の視点が欠けてしまうという問題が見える。公立大学が社会の中で、何を求められているか。教員・学生は何を求めているか。単なる営利団体ではない、教育・研究機関という公共的な性格を持ち合わせる大学の自治・ガバナンスのあり方が、今問われているのであろう。

 以上を踏まえても、下関市立大学におけるガバナンスの単純化・首長による大学の私物化とも捉えることができる定款変更というものは、許してはいけないことである。

 郷原先生の基調講演の後には、石原先生がレジュメを用いて、「大学ガバナンスにおけるピアレビューと自治」と題した講演があった。そこでは、本学において、大学の人事や学部の新設などの、大学行政上の意思決定が、理事長や学長の独断によって決めれるようにルールが変えられようとしている現状が、大学の自治や学問の自由についての歴史的変遷や社会的な意義という視点から批判的に論じられた。

 石原先生は、その上で「公立大学における学部・学科・専門(専攻)分野の新設・改廃などを、地方自治体の政治的観点や(その意向を受けた)理事会等の経営的観点のみから決定してはいけない」と主張した。

 もし、そのような意向のみから様々な意思決定ができるようなルールになれば、権力者の意向に沿わぬ教員が不当な扱いを受け、排除されかねないだろう。

 そうなれば、大学の質は落ちていってしまいかねない。

 関野先生も、自治体と大学が対立するのではなく、また、どちらかがどちらかをマウンティングすることなくフェアに議論して、ありうべき方向に大学を導きたいということを述べた上で、我々学生との意見交換も望んでいると主張した。教員と学生、教員と学生と自治体そして市民といった多様なステークホルダーによる、公平な議論の場が拙速に求められているといえる。

 以上のような、大学の現状があるわけだが、具体的に我々学生はどうすべきか。

 この点についても、本学の学生から質問があった。

石原先生は、学生が団結する必要性を主張。そこに対しての、周囲のサポートも重要とのべた。この点については、シンポジウムの参加者から、「北九州市立大学には、学生の自治組織があり、定期的に活動している」といった話があった。

 下関市立大学も、同じ公立大学である。大いに参考になる事例かもしれない。

 郷原先生はそれに関連して、学生も重要なステークホルダーである場合があると述べた上で、卒業生にこそ、このような大学の社会的な評価を下げるような問題は不利益となりうるのだから、大きく関わっていると話した。

 また、本学の経営において、大半が学費で賄われているということを踏まえ、桐原先生も、「もっと学生のために投資をすべきだ」という見解を表した。

 「学費がどこに、どれくらい、どのように使われているか」このような視点も我々学生は持たなければならない。

 公費と学費によって運営される公立大学におけるガバナンスはいかにあるべきか、資金の拠出と発言の関係はいかにあるべきか、様々な論点が挙がった本日のシンポジウムであるが、これが、「進歩ジウム」になるかどうかは、我々学生一人一人の自治の意識と学問への誠実さにかかっているといえるのではないか。

 ※本稿は、シンポジウムにおける配布資料と、参加者の発言を基に、筆者が独自の視点でシンポジウムをまとめたものです。事実と異なる点がございましたら、訂正致します。本稿における、一切の責任は筆者に御座います。

 ※最終修正・加筆日は、2019年12月21日。