小学校の卒業式に参加して考えたこと-学校という小さな世界における平等とは、少数派とは

 昨日は、小学六年生の弟の卒業式に参加させて頂いた。

 午前中から雨天が心配されたが、見事な晴天に恵まれた。卒業式は午前中で終わり、午後からは天気が一気に下り坂となった。こうして、午前中の晴天は余計に有り難く感じられるのであったが、ただ一つ、不満をあげるなら、風が強く、ここ最近の中では、寒さが際立っていた点である。残念なことに、母の風邪は冷え込んだ体育館での約二時間の中で悪化し、明石家さんまの2倍は声がハスキーになった。

 話題を卒業式に戻す。よく考えてみれば、こういう機会は貴重であると思う。弟とは歳が8つ離れている故に、20歳にして(21歳が目前に迫るが)、小学校の卒業式に参加できた。そして、自分の卒業式の日を、自然に振り返る機会になった。約8年前の私の卒業式は、たしか、同じように晴天に恵まれた。

 ただ、その日は、たしか3月11日だったはずである。東日本大震災の日であった。

 式が終わり、家に帰るまで、それを知ることはなかった。

 その日、今だから言えるが、前日にインフルエンザと診断されたにも関わらず、なんとかして卒業式に強行出席したのであった。それゆえ、ほぼ全員の参加する、二次会(ボーリングだった)には参加できず、式が終わり次第、帰宅した。

 そして、帰宅後にテレビを見て、東北を中心に未曾有の大震災が起きたということを知ったのであった。

 あれから8年が過ぎた。そして、昨日、成人した自分は、再び弱冠にして小学校の卒業式に参加することになった。

 卒業式の日に、あのような大震災が起こった意味はないと思うが、人間が大自然の前では如何に無力で、小さな存在かということ、それゆえに、他人と助け合い、一生懸命に生きることが尊く、大切であるということを忘れないことが、私の使命であると思う。

 再び話題を戻す。保護者の視点で見る、初めての卒業式であった。特別な緊張感や高揚感の微塵もない初めての卒業式であった。

 私の小学校は、2クラスあり、60人程が一緒に卒業を迎えた。(ちなみに、私は小学4年生の途中に転校を経験した。これも、今考えても貴重な経験である。)だから、私の目に弟の卒業式の規模は、新鮮に映った。4クラス約130人の卒業生がそこにいた。保護者の数も、当然多く、小学校の比較的狭い体育館は、缶詰め状態であった。自ずと、最後尾の私の位置は、約130人の“主役”から、かなり遠くなった。

 中学校の私の学年は、120人足らずだったから、その中学校の卒業式を越える人数規模だったということになる。

 式は、人数が多いゆえ、比較的スムーズに進行した。

 ただ、“主役”の一人一人がしっかりと証書を受けとった。そして、各々が自らの席に戻る前には、証書を保護者席に、堂々と見せつけるのであった。このような演出を、私は経験したことがないが、卒業式のメインイベントに際して、保護者のシャッターチャンスが増えるのだから良いのだろう。個人的には、格好悪いと思うが。

 その後、校長、教育委員会の代表者からの祝辞が“主役”に贈られた。

 小学6年生に対しての祝辞を、大学2年生の耳で聴いた。

 校長からは、桜の蕾が膨らみ始めた、春のよき日に~という、御決まりの文句に続いて、
校長の祝辞は、キング牧師こと、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア氏の、

I have a dream”の演説についてだった。校長が、特に感銘を受けた部分は、そこそこ流暢な発音で原文を読まれていた。その重要部分は、

「私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。」引用元は以下「私には夢がある」(1963年)|About THE USA|アメリカンセンターJAPAN演説については、こちらをご覧ください。日本語字幕がついています。https://youtu.be/eQ6q2cnVXqQ

という部分だった。人種差別は絶対悪であり、人類は平等の下に存在すべきだということを、これからを生きる者達に伝えたかったのだろう。 

 続いて、教育委員会の代表者からの祝辞。こちらは、持続可能な開発目標(SDGs)について。

持続可能な開発目標(SDGs)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標です。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っています。引用元は以下(一部省略)https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html

 こうして見比べると、両者が共に、「平等」を訴えたことがわかる。

 様々な子どもが集まった学校という組織は、ある面で、世界の縮図であり、そこには様々な差別、不平等が存在している。

「イジメ」が社会問題になってから、時計の針はどれ程進んだだろうか。

「イジメ」とまではいかなくても、学校には明らかな差別や、不平等が存在している。

 それらを、今の教育委員会および、教育関係者の内の特に権力のある者が、どれ程真剣に考えているのか分からないが、彼らの言葉が少なくとも私に「響かない」のはどういう訳か。

 私も含め、まだまだ現代社会は少数派に厳しい。そして、私は弱く醜い人間である。だからこそ、私は変わろうとしている。意識できる範囲から、少数派を思いやることが大切である。

 私は、少数派に寄り添える人間でありたいし、自身が少数派に属することを恐れない人間でありたいと強くおもう。

 例えば、数が少ないことを理由に苦しめられている人を救うことで、自らが少数派に転じるような状況があろうとも、それを恐れないで、救いを必要とする人に、救いの手を差しのべる様な人間である。

 無論、少数派を救うことで、救った者が少数派に転じることがない社会には、もはや少数派と見なされる存在はいないのかもしれない。

 では、このことを学校に近づけて考えてみる。

 学校には、発達障碍(しょうがい)、身体的障碍といった様々な障碍を抱える児童、生徒が所属するクラスというのが大体ある。彼らは、そうした特別支援学級にクラスを持ち、通っているのである。(特別支援学校も数は少ないが存在する。そこでは、勿論、障碍児、障碍者は少数派ではない。)

 各々のクラスから、彼ら、彼女らは、毎度、緊張しながら“少数派”として、健常な多数派のいる“一般”級(健常な児童、生徒の所属する通常のクラス)へと、指定されたタイミングで向かうのである。

 彼ら、彼女らが、本当に笑顔で、自然体でいられる一般級はどれだけあるだろう。

 何らかのハンディキャップを抱えた彼らを、率先して助けようとする者は、経験からすると、クラスの中に二人程度しかいないのが常である。

 障碍の種類によって、接し方を変える必要があるのは勿論だが、“ゲスト”として、時より授業にやってくる者を、笑顔で、暖かく迎え入れる一般級はどれだけあるだろう。

 実際に、中学校では、“ガイジ(害児)”という言葉が流行った。

 “ガイジ”は害児から生まれた言葉らしい。例えば、友達がアホなことをすると、そこに向けてガイジと言うのである。

 集会で、先生が咎める必要がある程に流行った。

 未だに使う人は多く、アホとか、馬鹿と言えば済むところを、“害児”と言う同級生もいる。

 私は、そんなことを軽く口にできない。記憶する限りでは、使ったことがない。

 こんな風に、障碍者は理解されず、配慮されないことがある。

 先生の目が届かぬ所で、彼ら、彼女らは、馬鹿にされてはいないだろうか。軽蔑されてはないないだろうか。虐められてはないだろうか。

 私も通り過ぎて来た、小学校、中学校では、特別支援学級が存在したが、そこには必ずといっていい程、差別的な態度が存在していた。私だって、そういう態度が少なからずあったかもしれないが、それを意識して、彼らに寄り添える人であろうと努めてきたつもりである。

 小学校では、“同じクラス”のダウン症の女の子に寄り添った。そうするうちに、とても彼女に信頼されたのか、私は彼女に凄く好かれた。嬉しいものだった。

 中学校では、農村への宿泊体験の時に、同じグループに二人の特別支援学級の同級生がいて、一緒に行動した。そこに至った理由は、私が、彼らと日頃から“クラスの仲間”として接していたからだったと思う。二人のうちの一人は、一般級では笑うことも少なく、口を固く閉ざしているような生徒だった。しかし、日頃から声をかけたり、優しく接していると、私に対して、イタズラっ子の顔でちょっかいをかけるようになった。その顔は笑っていた。

 人が自分に対して心を開く瞬間というのを、何度か私は経験してきた。そして、その喜びが、私を彼ら、彼女らに対して、無関心ではいられなくしたのかもしれない。

 校長は、教育委員会の人間は、学校の少数派について何も言及しなかった。

 長く、まとまりのない文章になった。

 末筆になるが、世界における不平等に言及する前に、目の前の多数派の視点を、最も身近に存在している少数派に向け、寄り添う方向へと導く言葉が、彼ら、教育者の上層部にいる人間の口から、大切な日に聞きたかったと思いながら、この思いを、その翌日に表したものが、この文章である。

 身近な不平等に目を向けずして、世界の不平等に目を向けることはできないと思う。

 この記事を通じて、一人でも多くの人が、少数派に、とりわけ、障碍者を“理解”しようと努め、この先も、彼らを決して見離さないでいて頂けるのなら、この上ない幸せである。

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(7)自閉症・情緒障害教育:文部科学省