ニューノーマル(新常態)と1945


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写真は、昨日美しいと思い撮影した、「風」に揺れる稲である。まるで、緑の海、まさに海原であった。今、世の中には風が吹き、私たちは其々の揺れ方で揺れている。

新型コロナウイルスが、近い将来インフルエンザのような立ち位置に落ち着くのか、風のような立ち位置に落ち着くのかわからないが、私たちの日常は、「ある程度」戻ってくるのだろう。

それも、次の「新しいウイルス」の感染拡大に備える形で。次は、同じ轍を踏むことなく、早急に国境の移動を凍結し、情報は躊躇うことなく公開し、流布せねばならない。

それでも押さえ込むことが難しい感染症の流行が起きた場合に、備えねばならないのだ。

私たち日本人は、歴史的に「未曾有の」大地震や大水害に悩まされてきた。

その度に「次なる脅威」「次なる未曾有」に備えてきた。

ただ、それでも多くの場合失われる命はゼロにはならなかった。多くの場合、当該地域は「日常」を失った。

「日常」を失った。と言えば、1945年前の昨日に触れなければならないだろう。

恥ずかしながら8時15分のその時、私は眠っていた。それでも、そのことを反省すべきだし、反省している。

ヒロシマにあの日起きたことは、「ヒロシマの悲劇」ではなく、紛れもない「日本の悲劇」だった。

日本全体に受けてもおかしくはない痛みを「ヒロシマ」が一身に受け止めたというのが私の認識だ。

ヒロシマは、最初の被害者だ。

そして、明後日8月9日の11時2分には、2度目の悲劇、「長崎の悲劇」が起きた。

私の感覚では、「ヒロシマ」は「ヒロシマ」として、「長崎」は「長崎」として、あの日の悲劇は語り継がれ流布しているようだ。

ヒロシマ」には数年前にバラク・オバマが訪れた。では「長崎」はどうだろう。

そのような意味において、方や片仮名、方や漢字の表記にした。

あの日から75年。そして、偶然にも、私は宮崎駿監督の手掛ける『風立ちぬ』を二度も観ることになった。

一度目は数日前、二度目はつい先ほどである。

戦争というのは零戦を設計した、堀越二郎の同期のほんじょうが言うように大いなる「矛盾」であったし、堀越二郎やその他の飛行機(戦闘機)の設計士にとって、「呪い」だった。

今を生きる私たちは、「矛盾」と「暴力(権力)」と「貧困」にまみれ、火の海に焼かれた、全ての命の犠牲を越えたところに立っているのだ。

例え75年の歳月が流れようとも、あの戦争を「私たちにとって最も身近な最後の戦争」とすることが「私たちの義務」ではなかろうか。

全ての戦死者に敬意と慈しみの心を込めて。