『風立ちぬ』視聴後記:困難な時代を清く逞しく生きた若き男女の短くも素朴な「幸せの日々」


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風立ちぬ』を視聴した。映画でこんなに泣いたのははじめてかもしれない。私の心に風は吹いているのだろうか。これからの10年、どう生きるか。君の10年はどうだったかと訊かれて、力の限り生きたと答えることができるのか。いつの時代も健やかな者は力の限り生きねばならない。堀越二郎の愛した菜穂子
は「美しい、風のような人」だった。若い男女の、あまりにも「短く、濃密な恋」そして「結婚生活」だった。未曾有の大災害の日に偶然列車が同じで、その時「風が二人を結んだ」のだった。二郎は絵にかいたような好青年。その親切さと勤勉さ、優しい心が菜穂子を惚れさせたのだ。菜穂子も同じように素敵
若い女性だった。当時の医療では、おそらく根治は難しかった結核に侵されていた菜穂子は、孤独の中、「二郎と末永く生きるために」高原病院で治療を受けるも、ある日二郎から手紙をもらうと決意を固め、病院を後にし、二郎の側で残り少ない美しい命の炎をもってして、1日1日を生きる選択をした。
二郎もそれを悟っていたから結婚した。国家プロジェクト級の仕事をまかされ、忙殺されるはずだった日々も、菜穂子と二人だから乗り越えることができたのかもしれない。左手はしっかりと横になっている菜穂子の右手を握り、せっせと設計の仕事(残業)を続けた二郎。この場面は、「二人三脚」で飛行機を完
成させたことを意味している。二郎にとって、菜穂子の温もりこそが原動力だったのだろう。会うべき人に会えたら、それは、ただそれだけでも非常に幸せなことだ。ただ、会うべき人と結ばれたらもっともっと幸せだし、10年でも20年でも一緒に過ごせたら、言葉にできないほど幸せなのだと思う。私がもし、
堀越二郎だとしたら、生涯結婚しないだろう。いや、できないだろう。それくらい尊く美しい女性だった。二人には、あと10年時間があっても足りないくらいだったと思う。そして、別れは本当に突然だった。最期のキスも爽やかだった。二郎は、飛行機が無事にテスト飛行を終了し、拍手喝采を一身に受ける中
「心ここにあらず」だった。それは、菜穂子の「旅立ち」を「風の知らせ」で知った(感じた)からだろう。二郎の視線の先には、高原病院があったはずだ。そして、菜穂子は最期に二郎の名を口にし、「ありがとう」と力の限り言っただろう。二人の時間は、その最後まで「笑顔の時間」だったのだ。

頭から離れないのは、二郎の上司の奥さんが菜穂子が置き手紙を残して去ったあとの何もない部屋で口にした「美しいところだけ好きな人に見てもらったのね」という台詞だ。
菜穂子の思いを表現するに、これ以上ない言葉だと思う。

二郎と菜穂子の短い物語。

そこにはいつも「風が吹いていた」。

私も、私の10年を「堪る限りの力を尽くして」生きようと心から思うのだった。そしてその限りある時間の中で、美しい人に出会いたい。

そういえばそうと、あの映画の冒頭の言葉が良い。
「風が立つ。生きようと試みなければならない(byポール・ヴァレリー)」。


※最期に、堀越二郎堀辰雄に、そして映画製作陣の皆様に敬意を込めて。素晴らしい映画を、思い出を有り難うございます。