風の谷のナウシカ視聴後記:愛されるとは愛すること。そして、自然と共に生きるということ。


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風の谷のナウシカを視聴した。こちらも、スッキリとした構成ながら、力強いメッセージの籠められた物語だった。

 

「自然に愛される者とは、自然を愛する者である」ということを見せつけられ、全ての者は魅せられた。ナウシカのテトとの出会いは、まさに「閉ざされた心を開くこと」の真髄だったと思う。テトの心は、ナウシカの言った通り

「怯えていた」のである。怯えるものに対して、自分は味方であると悟らせるには、多少の「痛み」を受け止める必要がある。

そのようなことを二人の出会いから読みとれる。ナウシカは、テトに噛みつかれても怒ることはなかった。その強さこそが優しさなのだと思う。

 

作品の構図は、人間界と自然界がいかに「共生」するかを描くというものだったが、毒を発する植物が人間界を蝕み、人間は住むところを失いつつあった。ここで、一部の人間達は

「ことの発端」を省みることなく、都合良く、自然界を敵であると見なし、それぞれに団結していた。さらに、本作品では人間界の内部での対立も描いていた。

この対立の元凶は、

「圧倒的な力」つまり「巨人兵」という、現代における核兵器を思わせる、人類を滅ぼしかねない力の存在であった。巨人兵の力で、

「自然の怒り」を沈める、いやねじ伏せようと考える人間がいたのである。この力を誰が握るか、使うべきかで、人間界は揺れていた。

 

風の谷は、宮崎駿が、ナウシカを手掛ける前に関わった『未来少年コナン』における

「ハイハーバー」を思わせる理想郷だった。そこでは、静かに人と自然とが共生していたし、たしかに人間は自然の一部であった。このように考えると、人間界と自然界という二項対立自体が不自然であることに気づく。風の谷に住む人々だけが、自然を傷付けることなく、最後まで自然の怒りを受け入れようとした。その中で、ナウシカ一人が最後まで、人と自然とが生き延びる道を切り開こうと闘ったのである。

彼女は、父を殺した組織のリーダーでさえ助けた。その優しさが「仇にならないこと」をジブリ作品は、私達に教えてくれているように思う。ナウシカは、愛する自然と、そこに住む虫、美しい故郷と、そこに住む人々の全てを守りたかったのだ。


そして、重要なメッセージは、地下深いところ、人が気づかないところで、木々が人々のためにも水を浄化してくれていたということだ。平和のはじまりは、

人々が自然に「生かされている」ということに気付くことから始まったのである。人々が傷付けた自然界は、そのことを人々に気付かせようとしたのだろう。

どんなに時代が変わろうとも、

「美しい命を未来に繋ぐこと」

の尊さは変わらない。オームの群れが、幼いオームをナウシカによって返された時に安心したのはそういうことだろう。

 

最後になるが、私達が地球に生きる限り、風は吹き続けるのである。
その風を生かすも殺すも私達次第だということは常に忘れてはいけないと思う。