就活を終えて



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私は、慣れてしまえば面接は緊張しないし、受け答えも大体のことは対応できるし、得意な方だと思う。
そして、これは、日頃から色々考えていることが前提だと思う。そして、その「きっかけ」「場」の大半が読書だと思う。私は生きていて疲れるタイプかもしれないが、就活には活きたと思う。

 

色々なことに関心を持とうとする工夫、関心を持つことを通じて、頑張っている、努力しているつもりはなくても、結果的に「勉強できていた」という経験ができた。大学生活を通じて。ろくにインプット(読書など)やアウトプット(ブログ、SNS、他人に知識の共有)をしないで、上手く面接を…なんて厳しい。

 

その上で、当たり前だけれども、就活も恋愛も「マッチング」なので、どんなに努力したとしても、あらゆる運も含めて、相性が悪ければ結果は実らないのだと思う。ちなみに、恋愛は露程も経験していない。

 

 皮肉にも「おちゃらけなかった」大学生活が社会に認められたなぁと思う。実家から地味な公立大学に通ってたからこそだろうか。有名私学に通っていたら、全然違った結果になっていただろうな。もっと「おちゃらけた大学生活」も歩めたのだろうけど、これはこれで良かったと思う。学ぶべき時にそこそこ学んでおくことは重要だと信じて。ただ、もっと人間を学ばないといけなかった。今後の課題だ。

 

あと兼ねてから、大企業に入ることに意義を感じなかった。というより、そのための勉強をしたくなかった。格好つけて言えば、リベラルアーツ思想というか、人間的に「面白く」なるために勉強したかった。無論、旧帝大の学生の多くの足元に及ばないかもしれないが、学生とは何か自分なりに考えてやってきた。そして、自信も表向きにはあるようでいて、なかった。

 

ただ面接を通じて、社会人を相手に、自分の考えを話すなかで自信がついた。ここまで、通用して、評価されると思わなかった。久しぶりに社会の中で肯定されたなぁと感じた。多くの質問が、これまでの人生に関わるものだったから、その喜びも大きい。

 

色々書いてみたが、これは自己満足かもしれない。それでも、自分の内なる感情は、それが公序良俗に反するものでない限りは、言葉として残したい、共有したい。あと、勉強熱心で努力家な後輩の皆さんには、しょうもない先輩である私の、これまでのツイートも含め、それがひとつの「生き方」として意味があるのか、ないのか、それぞれで検討して頂ければ、こんな嬉しいことはないのではなかろうか。願わくば、この人「面白い」と思ってもらえたら良い。そして、話をききたいと思ってもらえたら、美味しいものでも食べたり飲んだりしながら、楽しく談笑しましょう。どこかの後輩の皆、どうか希望を捨てず。

 

「肩の力を抜いて」歩いてください。しんどいときは、ゲームやパズルだと思って、少し俯瞰すると良いと思います。私は、社会人の偉大さを思いながら、どうにか生きていけるような、柔と剛を備えた心を、日々準備していこうとして生きています。弱く、醜く、怠惰な自分も認めて、良くしていきましょう。