先輩、松本零士の銀河鉄道999:魂の美しさを追い求めて


f:id:s70708710:20200704163929j:image


f:id:s70708710:20200704165809j:image

中々ブログの執筆が進んでおりませんが、そろそろアウトプットをしないといけないなぁと思い始めてます。

 

なので、最近感銘を受けた銀河鉄道999について、簡単に書きます。

 

作者である松本零士先生は、高校の先輩にあたります。

 

母校は、学校行事のたびにゴダイゴ銀河鉄道999が演奏されたり、流れたりしておりました。

 

しかし、つい最近まで作品を観たことがありませんでした。

 

我らが小倉駅には、銀河鉄道999のキャラクターのモニュメントがいくつも並び、駅周辺にもアニメの世界観を表したマンホールがいくつもあります。

 

市内を縦に貫く北九州モノレールのラッピング車両も、銀河鉄道999をモチーフとしたものがあるくらいです。

 

さて、アマゾンプライムで劇場版「銀河鉄道999」を視聴した感想ですが、

 

素晴らしい、美しい、純粋。そんなアニメーション映画です。

 

「つめたい」機械人間と血の通った「あたたかい」人間。

 

機械人間は、血が通っていないので、基本的に冷たい。生身の人間は、血が通っているので温かい。

 

もちろん機械人間にも、温かい心を持った人がいて、人間にも冷たい心を持った人がいる。

 

それとともに、「永遠に生きたい」「力が欲しい」「美しくなりたい」「欲しいものを手に入れたい」という、人間の持つ「際限のない欲望」を浮き彫りにした作品だと思います。

 

「死ぬべき時に死ぬことができないことの不幸さ」「いつか終わるからこそ魅力的なもの」「魂の美しさを見よう」これが、作品からのメッセージでしょう。

 

絶世の美女メーテルは、その見た目はさることながら、魂の美しい「機械人間」でした。

一方の、

まだ小さな少年、星野鉄郎は、見た目は決して良くないですが、誰よりも正義感があり、純粋で、優しく、勇敢な魂の美しい「人間」でした。

 

このアニメーションは、近々やってくる、AIの大活躍時代を想像させます。

 

ただ、999に出てくる機械人間には、「魂」があったのです。

 

ここが、私達の生きる現実との相違点です。

 

多くの星を旅する不思議な列車「銀河鉄道999」に乗って、「豊かな人々は」機械の体を、いや、永遠の命を求めて旅をするのです。

主人公、鉄郎は、「愛し、愛され大人に」なっていきます。

 

 

このような素晴らしい作品が、我がまちから生まれたことを思うと誇らしいものです。

そういえば、最近、JR博多駅の新幹線の発車メロディがゴダイゴ銀河鉄道999になりましたね。

 

私も先日、耳にしましたが、「作品を知ってから聴く」とより一層沁みるものです。

 

最後になりますが、メーテルが最後、鉄郎との別れ際に残した以下の台詞は、至高のものです。

 

「いつか私が帰ってきて、あなたの傍にいても、あなたは私に気が付かないでしょうね。」
「私は、あなたの想い出の中にだけいる女。 私は、あなたの少年の日の心の中にいた青春の幻影。」