ナルシズムがもたらす社会への好影響

 

ナルシズムが良いものとして語られることは、少ないのではないだろうか。

しかし、ナルシズムを適切に、教育の中に取り入れることで、自分を大切にできる人間を育てることができると考えている。

自分が大切にできる人間は、自らの命を断とうとはしない。また、自信を持っていることで、いじめを受ける可能性を減らすことができるかもしれない。

さらには、自らの不満を原因とした犯罪率の低下にも繋がるだろう。

自分を大切にできない人が、他人を大切にできないなんてことも耳にしたことは、誰しもあるのではないか。

今では、InstagramをはじめとするSNSを通じて、自分を発信することで承認欲求を満たすとを通じて、自分に自信を持つ人も増えたかもしれない。

ただ、それでも、例えば欧米人に比べて、自信の無さが滲み出る程度が大きい人は、日本人に関しては多い気がしている。そして、それが日本の暗さに繋がっているとも考えている。

これまでも、ナルシストは嫌われる要素として何度も話題になった。
たしかに、鏡をいつまでも、何回も見つめ、自分の容姿に見とれる姿を周囲に晒すことは、周囲の人としても違和感があるだろう。

言うまでもないが、自分が好き過ぎるために、自分に関する話ばかりをする、所謂、自分語り人間は好まれないことは当然である。過剰な場合や、それが周りに迷惑な場合を除いて、自分を愛することは、自分のことを大切にすること、自分に自信をもつこと、と同義であるから、むしろ、褒められるべきことである。
ここで例をあげると、日本でフィットネス文化の発展が遅れている一因にも、反ナルシズムの風潮が関係していると考えている。

自分の身体を鍛え上げ、なりたい自分になることは、自分を好きになることに繋がる。

そして、自分に自信が持てるようになるフィットネスは適度な場合には非常に良いものである。
筋トレの宣伝の様になってしまったが、これは欧米人と日本人のナルシズムに対する認識の差違を特徴づける事例であると考える。

また、十分なナルシズムを持った子供を育てることに意義を見出だすことができる。
子供がいじめをする、またはされるという時には、そこに劣等感を伴うことが多いと考えられる。いじめの当事者は、他者より何かしらで劣った人間だという感情を、他者を貶めることで蔑ろにすると考えるからである。

いじめのターゲットとされる側に一切の責任がないことは明らかである。
ただ、いじめの標的となる可能性を低下させる力がナルシズム教育にはある。
子供が自信を持って学校に通い、ある分野で活躍できる場があれば、その子供は学校で居場所を得られることにも繋がる。子供には、運動、芸術、学問など、なにかそれを磨くことにより、学校教育の中で活躍できる能力を一つでも良いから植え付けさせるべきだろう。

例えば、足がかなり速ければ、それだけで彼は自信や、学級内での居場所、アイデンティティーを形成することができ得る。そのように、自分にこれだけは自信があるという何かを持つことは、非常に大切な、自己防衛であり、健全な発育の過程である。そのような状態に子供を置くためには、褒めて伸ばす教育は非常に有効であろう。褒められることで、自信が持てるようになるからである。
学校で活躍できるような能力水準に達することが、どの分野においても出来なかった場合でも、親だけは子供を常に肯定的に捉えて、例えば、性格や容姿を褒めて、自信をつけさせなければいけない。それは甘やかすこととは異なる。

ただ、常に様々な競争に晒される発育期においては、子供が自信を失ってしまわないように気を配らなければいけないだろう。
もちろん、このような話では、自尊心が大切。
自尊心は、ナルシズムと密接に関わり合っているからである。
健全な自尊心があれば、他者に対して思いやりを持つことが当たり前にできるはずである。
慎重かつ丁寧な教育の末に、自分のことが好きで、自信があり、他者に対しても優しい人間が育つことが最も望ましいことである。