今こそ『自動車の社会的費用』を。


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宇沢弘文(1974)『自動車の社会的費用』岩波新書の簡単な感想を以下に記しておきたい。

 

この本にある経済学的な思考は誰にでも備わっているべきである。我々は、社会的な価値判断を前提として生きている。しかし、その社会的価値判断は一度下されると、再び検討されることがない場合がある。それが問題となるのは、本書の主題となっている「自動車通行に伴う社会的費用の発生」といったような、社会的価値判断が結果的に我々に被害を及ぼしている場合と言って良いだろう。
1973年という、高度経済成長の盛りに上梓され、世に送り出された本書の提言は今もなお現実的なものとして、目の前で繰り広げられている我々の価値判断に伴う社会的活動を考え直すきっかけと、その際に必要な思考の土台を読者に対して提供している。
当時、社会問題となっていた「公害」も、今日における「気候変動問題」も本書の射程である。

本書によると、かつての東京都を事例として、自動車が事故や公害などの「社会的損失」を発生させないように現状の道路を改造すると仮定し、その費用を都民所有の自動車台数で割ると、1台につき1200万円になったという。この事実は、当時の世論に衝撃を与えたそうだ。

このように実際の数字で議論しているため、より現実味を持って「自動車の社会的費用」を感じられる。


本書を読むことによって、「自らがどのような社会に生きているか」「どのような社会に生きるべきか」が見えると同時に、いかに、「日本社会における都市構造と自動車交通」を含めた社会的インフラストラクチャーが「非人間的」かつ「環境不適合」なのかが自ずと感じられることだろう。
21世紀が始まって、20年を迎えようとしているが、度重なる自然災害に、凶悪事件、自殺、交通事故、原発の問題など、様々な社会的価値判断が引き起こしてきた問題が眼前に山積している。
新型コロナウイルスという「社会的脅威」が我々を脅かしている今日こそ、本書を読み、ありうべき社会とは何か、そしてそれはいかに造られるべきかを考えることは有益である。

 

最終更新日:2020年4月20日