生きる上での「確かさ」と「幸せ」NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」によせて

ついつい見入ってしまった。(番組についてはこちらのURLから

http://www6.nhk.or.jp/special/sp/detail/index.html?aid=20200111#)


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素晴らしい番組でした。高齢化社会、より身近になるであろう認知症。ただ、それ以上に人の生きる意味や、長谷川先生が仰っていた、生きていく中での「確かさ」がどれほど尊いのかがわかる内容でした。


90歳の「先生」は「患者」になったのですが
それでも「医者」「先生」「認知症の研究者」であり続けていました。それは発する言葉の端々から伝わってきました。

長谷川先生は先輩医師に

 

「君自身が認知症になって初めて君の研究は完成する」

 

という言葉をもらったようですが、これはあらゆることに通ずる言葉のように思います。先生の研究は完成しつつあるのかもしれません。

 

私が注目していたのは、長谷川先生が、どこまで病状の進行を「自覚」しているのか、どこまで「認知症患者としての自我と社会(家族など)との関係性」を「理解」しているのかといった点です。先生は、この2つの点を必死に捕まえようと努力なされ、個人的に、かなり捉えきれていたように思います。


日々、生きている中で「確かさ」が失われていくことの不安や恐ろしさ、一方で、「見える景色は変わらない」という事実が見えてきました。

 

認知症によって、余分なもの(認知機能など)が徐々に剥ぎ取られていくのなら、最後まで「残したいもの」は何でしょうか。

 

健康な脳を持つ者として、私は尊い「確かさ」の中で、何を大切に生きなければならないのでしょう。

 

また、認知症や、うつ病のとき、どこまで自分を「客観視」しつつ冷静でいられるでしょうか。

 

最後まで、家族の存在や、家族との思い出は忘れたくないものです。

結局は、瞬間、瞬間を笑顔で楽しみ、人との関係を保ちながら、謙虚に、堂々と、感謝を忘れないで生きるべきなのでしょう。


強調したいのは、この番組でわかることは、「認知症患者の家族のあり方」

だけでは決してないということです。

 

このドキュメンタリーは、自分とは異なる他者と、どう関わることで、

「お互いが幸せで良い関係を築けるのか」

という課題に関しての非常に良い教材だと思います。

近年話題の自閉症スペクトラムや、うつ病、といったような、特に「脳」「認知」といった

 

「目に見えない障碍」

 

とどう向き合うべきなのか、かなり示唆に富む、あまりにもリアルな教材とも言えるのではないでしょうか。

決して暗い気持ちになるような番組ではないです。家族が寄り添ってくれる幸せ、有り難さを感じ、言葉にして妻や娘に伝える姿には心を打たれます。
先生自身が提唱し、推進してきたデイサービスを、先生自身が利用したときに感じた

「孤独」

は、切実なもので、介護のあり方や、医療の捉え方はどうあるべきかが問われていると思います。

 

一人一人が、ゆりかごから墓場まで、1秒でも長く幸せで満たされた気持ちでいられるような世の中にしていかないといけないと思います。

 

長谷川先生の妻がピアノで奏でる「悲愴」と、それを幸せそうな表情で聴く先生。そこには、悲しみの文字は見えませんでした。

 

               【以上。最後までご覧くださり、ありがとうございました。】