職業選択~好きと得意を一致させることの重要性~

 

この記事は先日のツイート(https://twitter.com/ecological0508/status/1212937359999635459?s=19)を、再掲し、編集しやすくしたものです。

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職業選択をする上で結果的に満足するには、向いてるかどうかじゃなくて、好きかどうかを基準にすることが大切だと思う。好きじゃないことでも、向いてるから続けるうちに好きになることもあるかもしれないが、好きなことを続けることでそれに向いてる自分に近づいていく方が良いような。

向いてることが始めから好きなことであれば一番良いが、職業選択に悩む人が大多数であろうことを考えたら、やはりそんな偶然はあまりないだろう。

 

また、好きなことを向いてることに変化させることができれば、その成功体験が、また他の「向いてること」を生み出す原動力となるかもしれない。綺麗に数式で証明することはできないが、向いてないけど好きなことを続けることでそれを好きで、かつ向いてることに限り無く近づけるという行動を私が支持する理由は、おそらく以下のようなところにある。得意なことを活かすことだけが正義となれば、社会から見て相対的に得意なことがない人(これは生まれながら比較的貧しい環境に身を置いている人を想定している)は、低水準の所得しか得られない道に進むことになりがちという状況を生みやすくなると考えている。

 

うまく説明できないが、結局「先天的要素だけで勝負あり」な社会は駄目で「後天的要素でも勝負あり」な社会にしていくべきであると考えている。そして、「得意はつくれる」し「得意はつくるもの」という発想が当たり前な世の中の方が、平等で明るいものになりそう。

 

これから、医学が進歩して先天的な要素で、どこまで個人の能力が規定されるかがより明確にわかるようになるかもしれないが、それが「個人の可能性」「モチベーション」を削るようなものならそのような技術の一般化は手放しで歓迎できない。その意味で、医学の進歩は、足を踏み入れてはいけない「聖域」に達しつつあると言えるかもしれない。

 

話が脱線した感があるが、以上のような医学が進歩しても、私を含めて、おそらくこれといった先天的才能を持たない人が、生き方によっては「豊か」になれるような社会にしていくべきだと思う。そのためには、思想的にも制度的にも、「才能をつくる」ことを当たり前にすることが重要だと考える。

「金持ちの子は金持ち」「貧乏の子は貧乏」の社会で、誰が前向きに生きれるか。結局のところそこに行き着く。

だから、「就活サイトの診断結果」なんて

「知ったこっちゃあない」と無視して好きなことがあるなら続けるだけ。

まだまだセーフティネットは不十分で、リスクは伴うが、

「社会的にも物理的にも死にはしない範囲」で努力して非金銭的な意味で「豊か」になれたらそれで良いと思っている。